明けまして御目出度う御座います。

それでは、早速吉例に従い今年の年相を干支で見ましょう。
今年は、戊戌(ぼじゅつ・つちのえいぬ)です。
最初に、古代中国の自然哲学である陰陽五行説(ごぎょうせつ)で見ましょう。戊も戌もどちらも土性の陽で「比和」となります。比和の年は、同気が重なるため、土の性質が組み合わさり、土の性質を強め、良い場合はますます良く、悪い場合はますます悪くなるとされています。
では、五行における土の性質は如何なるものかを見てみます。植物の芽が地中から発芽する様子が元となっており、「万物を育成・保護する性質」と表わし、「季節の移り変わりの象徴」となっています。五行を季節に当てはめると、木は春、火は夏、金は秋、水は冬で、残った土が季節の変わり目を表すことになります。具体的に言えば、季節の終わりの18日間ぐらいを「土用」と言い、その後に立春とか立夏が来て、季節が変わります。この「変わり目」ということが戊戌の年相を見る上で非常に重要になります。このことを念頭に置いていただき、戊戌それぞれの字義について詳説致しましょう。
先ず、「戊」ですが、甲骨文や金文では、戊は手でつかむ円形の斧(おの)やまさかりに似た戈(ほこ)の形象とされています。干支学的には後漢の『白虎通』に「戊は茂なり」とあり、漢の古字書『釈名』にも、「戊は茂なり。物皆茂盛するなり」と説いているように草冠のついた茂と共通し、「茂る、繁茂する」という意味を持つに至ったようです。
「茂」は当然のこととして葉がり・剪定(せんてい)の必要性を暗示しています。その為の道具が、甲骨文や金文の戊の形象である大きな刃がついた戈であると考えると結びつくように思われます。
「戊」の字義をまとめますと、植物が繁茂すれば剪定しなければ風通しや日当たりが悪くなり、樹がいたみ、悪くすると枯れたりします。同様に物事が繁栄し、繁雑化すると思いきって無駄を省き、簡略化に努めなければならないということです。
次に「戌」の字義について見ましょう。
戌も鉞(まさかり)の形象です。一説には一と戈(ほこ)との会意文字で、刃物で作物を刈ってひとまとめに締(し)めくくり、収穫する意を示しているとされています。
干支学的には「戊」に一を加えたものですから、基本「茂」と同義語です。この一は一陽を示しています。生(お)い茂った枝葉をおもいきり剪定し、日当たり・風通しを良くしたら、木にはまだ生気(一陽)が残っているからまた元気になるということです。
また、『説文』には「戌は滅なり。」とあり、滅亡する有様を指したものとしています。「戌」は植物の成長サイクルでは11番目の年ですから、成熟を終えた作物が刃物で刈り取られ収穫されるか枯れて、次の世代へと生命を繋(つな)いでいく年なのです。

以上、「戊」・「戌」それぞれの字義を統合しますと、「戊」と「戌」という同じような意味を持つ文字が重なりかつ陰陽五行説では「比和」の関係ですから、より強力にこれらの文字が暗示する繁雑さ・煩瑣さ・複雑さが増していく方向に向かうことになるでしょう。ですから、今年は「戌」には一陽がまだ蔵されていることを頭に入れて、果断に不要なもの、終わったもの、さらには将来の成長にマイナスとなり得るものを全て切り捨てることで次の年に向けて維新していかねばならないということです。

史実の歴表に徴(ちょう)してみますと、前記してきた戊戌の年相がよく御理解いただけると思います。
一二〇年前の戊戌の年である一八九八年には、四月には米西戦争すなわちアメリカとスペインの戦争が起きました。スペインは敗北し、アメリカはカリブ海及び太平洋のスペインの旧植民地に対する管理権を獲得しました。
この米西戦争という史実はアメリカはスペインが植民地にしていたキューバの独立を支援するという一見大義(正義の戦争。直接的な口実はアメリカの軍艦によるメーン号爆沈事件)により起こしたものですが、結果は太平洋の覇権が「スペイン」から「アメリカ」へと移っただけでした。パリ条約でキューバはアメリカの保護国となり、その上アメリカはフィリピン、グアム及びプエルトリコを含むスペインの植民地のほとんどを獲得したのです。この戦争のように何かを契機として、アメリカファーストで世論も議会も好戦的に動くと北朝鮮との戦争も十分にあり得ると思います。今年の年相を干支学で見ても九星気学で見ても九紫火星(きゅうしかせい)なので争いは起こり易いのです。
六月に大隈重信内閣が誕生しました。短命ではありましたが、それまでの藩閥政治から、日本で最初の政党内閣への大きな変革でした。
清朝時代の中国では「戊戌の変法」と呼ばれる光緒帝による立憲君主国家を目指した新政を施行したが、西太后を中心とする守旧派が先手をとり、クーデターを起こし、帝は幽閉されました。変革には守旧派との対立が付き物で、難しいものです。
一〇月には院展の名で親しまれる日本美術院が横山大観、下村観山を含む二六名で開院したのもこの年でした。その後の日本美術院の発展に多大な貢献をしました。
一二月には、キューリー夫妻がラジウムの発見を発表しました。ラジウムは一時期放射線源としてガン治療に使用されました。

次に六〇年前の一九五八年を見てみましょう。
一月には東京通信工業がソニーに社名を変更しました。これは新製品で世界市場に打って出ようとする当時に経営陣の心意気の表れでしょう。
三月には関門トンネルが開通しました。この世界初の海底道路トンネルの誕生で、本州から九州まで徒歩でも渡れるようになったのです。
この年もっとも話題になったのは十一月の明仁皇太子と正田美智子さんの婚約発表でしょう。皇太子の婚約相手を、民間の人から選ぶのは、当時はエポックメーキングな事だったのです。
十二月に当時インフレが懸念されていた一万円札が発行されました。今ではなくてはならないものですね。
また、十二月に国民健康保険法が公布され、その後長寿大国日本の名声を高めることに大きく貢献しました。
その他幾つか、興味深い出来事を挙げて置きましょう。
・この年の下期から六一年の下期にかけて岩戸景気と呼ばれた好景気がスタートします。
・東京タワーが当時世界一の高さ(三三三メートル)で完成。この年のラジオ普及率は八二%でピークを付け、そこから減っていきます。テレビ時代の幕開を象徴したのが東京タワーです。
・インスタントラーメンの発売。日清食品が初のインスタントラーメン「即席チキンラーメン」を発売しました。これはその後人々の食生活に大きな変化をもたらしました。
・ロカビリーの音楽も若者が熱狂し、音楽業界に大きな変化をもたらしました。
・阿蘇山の大爆発もありました。死者一二名、負傷者二八名でした。
・アメリカでアメリカ航空宇宙局NASAが発足
・アメリカ初の人工衛星「エクスプローラ一号」の打ち上げに成功

以上、戊戌の年の史実を見てきたわけですが、五行における土星の性質(すなわち「変わり目」となるという性質)が遺憾なく発揮されています。またそこからの変化は後々の時代にも大きな影響をもたらしたものと言えると思います。戊戌の年は良い意味でも悪い意味でも強烈な変化をもたらしていくのです。

最後に、以上述べた年相を踏まえ、我々SBIグループとしてはどうあるべきかについて触れておきます。
第一に、組織の剪定を果断に断行します。これまで以上にグループの各事業、各プロジェクトの優先順位を明確にし、経営資源のより厳密な配分を行います。新しい生命力の創造は、こうした剪定による環境整備によりなされるのです。
モンゴル帝国のチンギス・ハンが見込んだ耶律楚材の言、「一利を興(おこ)すは一害を除くに若かず。一事を生ずるは一事を減ずるに若かず」をもう一度かみしめてもらいたいと思います。

第二に、剪定する、省くといってもそこには何が成長の芽になるのかという冷徹な判断が常に必要です。我々SBIグループはA&B即ちAIとBLOCKCHAIN(ブロックチェーン)を今後一〇年間に最も大きな社会変革を起こす技術として位置付けています。こうした分野には傾斜的に経営資源をつぎこむつもりです。そうした取捨選択が絶対に必要です。
具体的にはこうした成長分野への投資、グループ内でのA&Bの積極的導入をやらねばなりません。金融サービス事業分野においては仮想通貨とモバイルファイナンシャルサービスの生態系の構築に全力投球しなければなりません。

第三に、前述したように今年は様々な分野で大きな変化が起きやすい年ですが、我々は寧ろそうした変化をチャンスと受けとめ、変化を進化に繋げる努力をしなければなりません。その努力の先に比類なき繁栄があるのです。

第四に、現状全ての事業が非常に好調です。こういう状況の時ほど「得意淡然(とくいたんぜん)」でなければなりません。つまり驕らず、つつましい態度でいなければなりません。

以上、肝に銘じておいていただきたいと思います。

SBIホールディングス株式会社
代表取締役 執行役員社長 北尾 吉孝